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力による平和って本当にあるの!? -その7-

2026/09/15 08:00 公開

あの9.11から25年となる米国の追悼式典から
あの9.11から25年となる米国の追悼式典から

 これは先日米国ニューヨークで執り行われた、あの9.11事件で命を奪われた多くの被害者に手向けられた追悼式典の一幕です。

 あれからすでに25年が経った今も色あせず、こうして米国民一同が悲しみの念に暮れている情景を目の当たりにすると、地球上でもっとも力のある国だからこその大いなる悲劇であるように思えて仕方ありません。

 世界一力がある国でありながらなぜこのような悲劇が生まれるのか、そこにある力とは本当の力なのか、こんな問いを米国民だけでなく私たち人類全体が考え改める時なのかもしれません。

第三章:国家を戦争へと駆り立てようとするもくろみの数々

 今や地球人類80億人のほとんどはいずれかの国や地域に属し、その限られた領域を統治・主導する者たちによる政権運用によって、属する民衆への様々な生活支援や自由な日常が約束されるという、曲がりなりにも依存性の高い社会構造の中で生活しています。

 そんな日常の中で突如として9.11のような悲惨な事件が起きるとは、この計画に携わったごく少数の者以外世界の誰もが想像する由もなかったに違いありません。

 米国などでは国家非公認の小規模組織による過激な暴力的犯罪をテロと位置付けていることもあり、この9.11事件はまさに卑劣で悪質なテロ行為の象徴の一つとして、国民の間での認知度が高まっていると思います。

 また同じくして今なお続くロシアとウクライナとの紛争についても、対抗するウクライナをネオナチと呼び敵対視しているロシアの素性が、ハッキリと世界規模で映し出されている状況です。

第三章第一節:仮想敵をあげつらえ恐怖と敵対心をあおるプロパガンダ

映画「ワールド トレード センター」より
映画「ワールド トレード センター」より

 テロというと一部の勝手気ままな集団が増長して、過激な暴力や攻撃をしかけてくるというイメージがあるんですけど、皆さんはテロという言葉にどのような印象を持たれているでしょうか。

 これまでもニュースなどのメディアでテロという言葉を何度となく耳にしていますし、特に自爆テロという現実を知った時には自分の命をもいとわない、あまりにも血迷った行為としか思えませんでした。

 この9.11事件もまた、れっきとした自爆テロ行為の一種であることは疑う術がありませんし、テロの特徴の一つでもある民衆をターゲットにしていることに、当たり前の恐怖感以上に(おぞ)ましいほどの怨念(おんねん)をも感じ取れるようです。

 そして今回の追悼式典の中で聞かれたトランプ大統領の演説は、「民衆にとって最も危険なものはテロであり、戦争はテロを防ぎ民衆を守る糧である」と言わんばかりに、改めて力の正当性を主張していたことがとても印象的でした。

 戦争が民衆から支持された国家主導者たち自身が発動する正当な行為であり、その一方でテロが民衆の命をも犠牲にし自分(たち)の意思のみを最大限に尊重し遂行する行為とするならば、民衆がこれらの言霊(ことだま)から感じ取ることのできる良し悪しの差はもはや歴然と言えそうです。

 でもこの9.11事件が現実に起こったことで、この暗黙の定義が大きく揺らぎかけてきたのもまた事実なのかもしれません。

 それは米国民のみならず、政府が管轄する米国国防総省ペンタゴンでさえもターゲットになっていたことです。

 テロなのになぜ政府機関への攻撃までも企てることになったのか、テロなら民衆をターゲットにして憂さを晴らしているだけのはずなのではないか、この攻撃報道を知った時こうした疑念が一気に沸き上がってきただけでなく、この疑念から生まれた新たな個人的見解として、次のような現実的な認識との乖離(かいり)が垣間見えてきました。

 そもそもテロとは個人または目的を同じくする少数集団によるもので、国家レベルの大規模かつ永続的にまかなえるだけの軍事力を有しない存在であることから、攻撃がいたって単発的になりやすくターゲットも無防備で狙いやすい民衆にするしなかっただけなのでは。。。

 もしテロ集団が国家レベル相当の軍事力を持っていたならば、また彼らの目指す意思がその国の意思そのものであったならば、もはやテロではなくれっきとした戦争と呼べるレベルなのではないか。。。

 こうしてまとめるとテロという"造語"は、戦意ある主導者たちによって仮想敵を呼称し民衆に恐怖心と敵対心をあおり、国内の意識が一丸となることを恣意的に操作したプロパガンダ(政治的思想を民衆に植え込む情報操作手法)を展開するために利用されるものと言えそうです。

 そしてこの結論として、テロ・ネオナチという言葉も戦争という言葉ももはや分け隔てる意味はなく、単なる敵味方という立場の違いにすぎないものであることに気付けたのは、力による支配(戦争)の本質をとらえる上でとても大きな意義があると感じられました。

 なぜなら争い事の本当の良し悪しは、政府統制メディアが報じるプロパガンダなど操作された情報から得られるものではなく、その行為の真の目的が何であるかを一人一人が見極めることで、初めて正しい情報として得ることができるものと断言できるからです。

 この9.11事件もこの意義を踏まえれば明らかな戦争行為そのものであり、それをテロ行為と非難すること自体が民衆へのプロパガンダであるとも言えるでしょう。

 ここで私たちが本当の意味で理解しなければならないことは、この目的の真意が何であるかを真摯なまなざしで見極めることです。

 日本には「火のないところに煙は立たない」という名言があるんですけど、果たしてこの9.11という煙を立たせた真意(火)の発生源は何なのか、今それを偽りのない歴史から紐解いてみる勇気が必要なのかもしれません。。。