前回のシリーズでは、嘘をつく人の本質と特に嘘に弱い日本人の気質、そして現代におけるデジタルならではの更なる追い打ちについてお話しました。😔
これらは騙されないためのテクニックを理解するうえで、ぜひ知っておいてもらいたい"避けようのない現実"であるということです。😩
それゆえ嘘に騙されないようにするためには、ただ流れる時間に身を任せたままでは決して解決できないことからも分かるように、他力本願ではなく自分自身が積極的に行動し、解決への突破口を切り開くパワーがどうしても必要になってきます。💪
この行動についても一般的に考えられるのは、家に防犯機器や特殊な電話を置いたり、パソコンにセキュリティーソフトを入れる程度かもしれませんし、そもそもこれらは他力本願の部類なので自らの行動とは別物と言えそうです。😓
では一体、自分自身で行う積極的な行動とは何を指しているのでしょうか。。。
多くの人は日々仕事をこなし、その対価を得ながら社会の中で生活を続けています。
そういう意味では、ボーッと生きている人なんてほぼいないと言えるのもまた事実なんですけど、ここで肝心なのは仕事に関してはボーっとなどしてはいられない反面、オフタイムではそこで溜めたストレスを軽減する必要性などを考えると、誰しも人生の中で"ボーっと生きている"という部分があるのも事実と言えそうです。
このような日々の生活を続けていれば、仕事に関することについてはほぼ確実に知識と経験が養える一方で、それ以外に関することについてはほとんど知識や経験が養えないというのも想像に難くありません。
特定の物事への知識や経験があるのとないのとでは、それに関する偽り的な事象に遭遇した際その違和感や不自然さにいち早く気付き、無意識に疑念を抱ける確率が圧倒的に異なるということが容易に示唆されます。
つまり物事の本質を自身の知識と経験によって極めた人に、同じ対象で偽ろうとしてもほぼ即座に偽物であることがバレてしまうというわけです。
ではここで一つ分かりやすい例を挙げて説明したいと思います。
あなたには幼馴染の友人と、かれこれ20年以上付き合いがあるとします。
時々一緒にドライブや旅行をしたり、また食事やお酒を交わしたりと、友人関係としていたって普通の付き合いを長年続けている状態です。
そんなある時あなたの目の前に、突然その友人と瓜二つの人が現れたとしましょう。
それを見たあなたは当然幼馴染の友人かと思い、いつものように会話から始めることになるんですけど、その最中である違和感を抱き始めることになるほずです。
どこか変…
どこか不自然…
どこからしくない…
これは幼馴染の友人と初めて会った人には、絶対に抱けない疑念であることがお分かりいただけると思います。
言うまでもなく幼馴染の友人の外見をはじめ会話の仕方などを含め、初めて会った人にはそれが当人の素性だと認識せざるを得ないからです。
その一方で長年付き合っていたあなたには、昔から幼馴染の友人のことを誰よりもよく理解していて、何より長い付き合いの中で培われてきた本人の内面性をすでに熟知していることから、ごく短時間であなたにしか感じ取れない特別な違和感が自然と湧き上がっているというわけです。
これがもし単なる多くの遊び仲間の一人程度のようにボーっと付き合っていたとしたら、あなたでもきっとこうした疑念を抱くことはなかったのかもしれません。
人同士の付き合いには、長ければ長いほどその時々に意外性や共感性が生まれ、それが感じ取れた側の印象記憶として残り続け、そこに特別な事情がない限り心の絆として自然と育まれる特徴があり、それは個性という"人の本質"を無意識に理解し受け入れていることを意味しています。
また一度"人の本質"への理解を極めることができた人は俗にいう「人を観る目」が豊かになり、こと対人関係ではより一層騙されにくい気質が備わっていると言えるでしょう。
でもこれはあくまで知識と経験によって本質を極めた限られた物事だけであり、本質が極められていない他の物事への偽りには依然無防備であることに変わりありません。
それにそもそも短命な人類はその誇らしい頭脳をもってしても、この世のすべての物事の本質を極めるまでの術を持ち合わせていないのが現実ですし、その点が偽る者にとって格好の好材料(脆弱性)にもなっていると言えるでしょう。
だからこそ人は、できる限り多くの物事の本質に向き合い極めようとする率直さが大切で、それにより偽りに対する無防備な穴を積極的に埋めていくことで、その結果騙されにくい気質が自然と身についてくると思います。
そしてその率直さこそ単なる詐欺対策だけに留まらず、自身の人生そのものの価値感を飛躍的に高める原動力にもなってくれると信じます。
チコちゃんの「ボーっと生きてんじゃねーよ!」という言葉の裏には、"もっと物事の本質を知りなさい"という叱咤激励(しったげきれい)の想いであふれているのかもしれませんね。